筑紫女学園大学後援会総会にて承認されましたガムラン購入に関する件についてご報告いたします。平成11年9月13日より18日まで現地インドネシアでガムラン楽器製造過程及び完成楽器演奏の視察をいたしました。正式な報告は後援会会長宛に提出しておりますが、後援会の皆様には以下の「ガムランの旅日記」にてのご報告とさせていただきます。
筑紫女学園大学後援会理事
遠藤玄之
「ガムランの旅日記」
福岡の天気は曇り。少し雨が降っているかな!いよいよ待ちに待った.....いや 恐れていたインドネシア行きだ。「今は危ないそうだから、やめられた方が」....「勉強になるいい機会ですよ!」いろんな人からいろんな意見を聞いた。言うぐらいはただだから、人とは勝手なものである。妻はテレビを見て、東テイモールのことをさかんに吹きかける。「危ないらしいよ!」私は落ち込み、だまって聞き流す。「でも 行くならエトロのバックを免税店で買ってきて!」と言って写真まで持ってきた。こんなやつと20年も連れ添って来たか!「人のためになることなら、僧侶は命を惜しんじゃいかん!...永遠の命が約束されているんだから!」..自分を鼓舞する。憂鬱な気分半分、楽しみ半分というところだ。和雅音の森谷君(南国通!)から「水だけは気を付けて!」と勧告され「六甲のおいしい水」「ミニどんべえ」「梅がゆ」をトランクに入れる。昨日、田村先生(アジア文化史)から国際電話があった。「予定通りですね?じゃ ジャカルタ空港乗客出口でまってますから!」冷たくもあり温かいお言葉をいただいた。少し安心して眠りについた。
99年9月13日(月)7:25福岡発の日本航空機で成田へ出発!平日にも関わらず成田は大混雑。ビジネスクラスの優先権をフルに活用してしまった。しかし出国手続きには閉口した。日航725便10:50発ジャカルタ経由テンバサール行きは満席状態。本(エリアガイド)に書いてある通り、快適であった???「ビジネスのスチュアーデスは特別綺麗だ!」と思いきや、とんでもない!しかも定年前のおじさんの乗務員だ。(やたら愛想がよかった..かんべんしてくれ!!)機内食は「美味くない!」クーラーが利きすぎて岩田屋より寒い。良かった点はイスが広い。液晶テレビが出てくる。スリッパがある。
7時間も経てばそこは南半球インドネシアだ!飛行機から見た熱帯雨林は感慨深いものがあった。「あの川の曲がり具合はカリマンタン(ボルネオ)島だなあ!」と勝手に決めた。
ジャカルタ(スカルノ.ハッタ)国際空港では入国審査と手荷物受け取りで一騒動!「私が動けば
珍道中!」の始まりを予感させた。言い訳を言わせてもらえば館内放送やデイスプレーがなかった。ポーターが無理矢理トランクを持とうとする。「もたんでよか!」言葉の壁は大きかった。押し問答をしながら歩くと田村先生と会った。ポーターは静かに消えた。
次の飛行機ジョグジャカルタ便には少し時間がある。お茶を飲みながら田村先生との再会を喜んだ。(私だけかも!)朝から2本しかたばこを吸っていないので立て続けに吸う。先生は売店の絵葉書を見ながら帰りのおみやげの心配をしている。次の便は問題のガルーダだ!福岡空港での残骸をみているだけに......いやな予感がする!「インデイージョーンズの世界じゃないですか?」「どういう意味?」...「飛行機の中をにわとりや豚がかけまわってる!」「遠藤さんは何か勘違いしてますよ!」このような会話だった。「ここに来ると2時間得するの!」田村先生もわけのわからんことをおっしゃる。きっと時計が戻るから2時間分、歳をとらないのでしょうねえ!女の発想だな!「日程の中でどこか行きたいところありますか!」「一応ボロブドウールへは..。」「それは考えてました。他に?」「別にありませんからお任せします!」
1時間でジョグジャカルタへ。(現地ではヨグジャと呼ぶ。)ガルーダはもっと快適だった。きっと横で会話する人が出来たからだろう!それに飛行機の操縦が荒っぽいのがいい!荷物を受け取りタクシーを呼ぶ。フォードのボロタクシーだった。見たところ楽に30万キロはクリアしておられそうだ!15年前のファミリアか?
目的地ソロへはタクシーで1時間半の行程、初めての地獄だ!道路は国道ソロ街道。結構広いが
無法地帯「なんでもあり」の世界である。とにかく追い越しをかける。自転車、バイク、ペチャ(前に2人程人を乗せる自転車)トラック、バスそしてこの自動車は、クラクションを鳴らしながら、路肩側でも平気で追い越しをかける。人が隙を見つけて渡る。この国で一番リスキーな体験だった。信号機は少なく、バスが一番真ん中を飛ばす。最初のアジアを感じた。
「ぶっ飛ばした!」おかげか1時間でソロのホテルへついた。私の宿はクスマ.サヒド.プリンスホテル、旧王宮を改造してホテルにしたもので、「結構いいホテル」と田村先生。部屋でシャワーを浴び先生のご主人サプトノさんとガムラン職人サロヨさんと対面。早速晩飯ということで、車に乗り、屋台へ行った。ソロの町には屋台が多くある。「..いきなり屋台はないやろう!自慢じゃないけど胃腸が弱いのに!」典型的なジャワ料理、タイ米に汁をかけ、鳥と野菜の煮たやつをのせる。飲み物はホットレモンのような甘いやつで、汁にはたっぷりとココナッツが入っている。甘くて辛く、熱い!「こりゃ!喰えん!吐きそうや!」と心で叫びながら「結構いけますよ。」と言った。イスラムの文化か?豚肉と酒は見えない。鳥料理が多く、先が思いやられる!「ケンタッキーは好きなんですけどね。」と言うと、先生が呆れていた。
9月14日(火)晴れ
ホテルは快適、夜11時にクーラーを止めると、あとは涼しい。朝5時に起床と体はまだ日本時間(2時間のずれ)を引きずっている。空気が乾燥しているためか、肌寒いくらいで、長袖を着る。イスラムの(多分コーランだろう?)声と鳥の声が相まって「朝の小鳥」状態となる。記念にMDに録音!7時半に下のレストランへ行き朝食をとる。昨日先生から借りたルピアは2万ルピア札しかないのでレジで両替したが、1万ルピア2枚だった。親切だったボーイに1万ルピアを渡すと態度が一段と変わった。.....「渡し過ぎだ!!」結局店の人たちと、手に持っていたデジカメ談義となり、私の想像以上に円が強いこと、日本のハイテクがすばらしいことを教わった。ちょっと太めのマダムが言語講座を始めた。「スラマット.パギ」おはよう。「スラマット.シアン」こんにちわ。「スラマット.マラム」こんばんわ。エリアガイドに書いてある通りだが、微妙な発音を学んだ。なにせ日本で憶えたのは「テリマカシー」ありがとう。だけだったから...........。
風と鳥の声(RealPlayerG2)
ちなみに赤道直下の国インドネシアは、1万7千5百の島々からなり、 西からスマトラ、ジャワ、バリ、ロンボグ、カリマンタン(ボルネオ)スラウエシ、テイモール、イリアンジャヤ等。人口5億、その60%がジャワ島に集中する。天然資源も豊富で石油、天然ガス、銀、すず、ボーキサイトなど。通貨ルピアは現在円の63倍 1000円が63000ルピアとなる。ソロは王宮の町、遷都200年だそうだ。繊維製品(バテイック)はジョグジャやジャカルタより安く買える。
ホテルの周辺を少し散歩をしてみた。(ジャランジャラン=散歩) やたら鳥が鳴くと思ったらあちらこちらに鳥かごがあった。九官鳥やホロホロ鳥のような感じだ。正面ロビーにはガムラン楽器が常設してある。
9時頃にサプトノさん夫妻が出迎えに来た。車はワンボックス三菱コルト。メータは50万キロ、後ろ半分が痛んだので、切り取って付け替えたらしい。「乗り換えたいけど愛着があってなかなか!」と田村先生。尊敬に値する。サプトノさんは用件があるらしく、2人でタクシーに乗る。ソロ市内のガムラン
製造工場へ向かう。王宮をすり抜け「ソロ川」を渡る。かつて日本で流行った歌「ブンガワンソロ!」
のソロ川らしい。「歌に歌われる程の川か?」福岡の室見側程度。水は濁っている。しかしその道は
昨夜同様ひどかった。ホーチミンルートと銘々した。
工場は田んぼの中の住宅という感じだった。タクシーを待たせて、最初に職人達の「たたき出し!」を見学!重くて鉄の部分が長いハンマーを使って、4人で真っ赤に焼けた壺の中を順番にたたく。日本の餅つきに似ているが、部屋の中は暑くてうだるようだ。十数秒もたたくとコークスの中へ戻し、モーターのふいごが活躍する。体力と時間が必要な大変な作業だ。大きなゴングなどは、たたくだけで一日かかるらしい。

他の楽器も仕上げ作業段階だった。「真鍮かな?」削って水で磨く。道を歩き、数件離れた家で彫刻の作業場を見る。間の家は瓦作りの最中だった。このあたりは職人町のようだ。彫刻作業場では「龍」の彫刻を中心とした台を作っていた。ゴングを下げる台の中央には、築女の校章が彫られている。次はクノンの台かな?おばあさんがイスに座っていて作業を見守っている。田村先生と親しく会話をされた。「何を言ってるのか、さっぱりわからん!」サロヨさんの事務所で、ジャワテイーと木の実を揚げたお菓子を食べた。どちらも美味しい!サロヨさんと名刺の交換をした。日本でも珍しいコーテイングをした名刺だ。「おしゃれ!」インドネシア行きのために、古賀市でわざわざ英文入りの名刺を作ったのに「俺の名刺の方が質素だ!どうなっとるんや!」
帰りに「たたき出し」をもう一度覗くと、さっきより30%は大きくなっていた。これもクノンらしい。サロヨさんに別れを告げてタクシーで王宮に寄る。

王様に会った。クラトン スロカルト王家 パクブウオノ12世だそうだ。「何のことかさっぱり!きっと偉いんだろうなあ!」と緊張だけはする。先生と親しげに話されて、普通の関係ではなさそうだ。「日本から来られた遠藤さんです。」と紹介を受ける。王様は私の胸を見て何やら言われた。ポロシャツの胸に書いてある文字を読んでおられたのか?自分でも読んだことがないので返事に困った。気さくな方で2人の写真を王様の運転手さんに撮ってもらった。「きっと大変なことなんでしょうねえ!」
サプトノさんと食堂で合流、お粥のような飯を食べた。これは美味かった。午前11時にホテルへ戻った。夕刻より王宮にてガムラン演奏だそうだ。私のためにセットしたらしい!スーツで行かなくては!MDとデジカメも必要だ。この時だけのために「スーツと靴と靴下は絶対持ってきてね!」と築女の会議室で田村先生から言われていたが、なんで「靴下もなのか?」.....。
部屋でCNNを見た。オーストラリア軍が東テイモールに入るらしい!ベットで横になると寝てしまった。
午後4時 ホテル常設のガムラン演奏が始まり、しばらく聞いていた。5人編成で1人女性が歌う。
バンドマンの悲哀を感じ、2万ルピアを渡した。ホテルの店でバテイックとスリッパを買う。横の店は
インターネットカフェだ。若者で結構はやっているようだ。(ようわからん国だ!)
午後6:30スーツに着替えてロビーで待つが先生はこない。この国でのスーツ、ネクタイ、靴下はやはり暑い。「今日の行事は中止かな?」と思っていたら、7時前に夫婦でお出迎えだった。「博多時間ならぬジャワ時間があるようだ!」サプトノさんは、ガムランの装束だ。腰に短刀をさしている。「本物だそうだ!」急いで王宮へ向かい5分で着いた。
すでにガムラン演奏が始まっていた。この曲が終わると「踊り」が3つあるそうだ。雅楽で言えば、管弦1曲、舞楽3曲だな。練習かな?と思ったら曲に入っている様子であわててMDとデジカメと「写るんです!」を取り出す。「ガムランは、曲の始まりがよくわからん!」...いきなり王女様が登場!
握手をさせられた。お腹が大きくて来月29日出産予定だそうだ。兄弟が30名程おられるそうだが、私には事情は分かりません!イスが8脚ほどあり、王女様の隣で賓客席におさまった。(...とんでもないことになってしまった。)田村先生は三脚を出してビデオカメラの設置に余念がない。王女様と私の間の小さなテーブルにジャワテイーとデザートらしきものが用意された。召使い風の女性がお茶を入れてくれた。4人の美女が登場して舞踏の曲が始まる。主賓客ということで目のやり場に困り、やたらカメラとMDをさわる。やっぱりというか写真を撮る時は、好みの女性を撮ってしまう。「海外まで来てなさけない!」.....「デザートを食え!」と王女様から目配せがあり、春巻きのようなお菓子を耐えながら食う。ココナッツと餅が合体したような不思議な味だ。「ジャワ風ケーキかな?」次の曲は男性2人の舞踏である。槍を持っての勇壮な舞となった。カメラも「女性ばかりフラッシュをたいた!」と思われないように「努めて撮ろう!」...やっぱり少ない回数だった。舞の4人の女性達が私の後ろの席に座った。「固まって、後ろを振り向けない!」次の曲は男性一人の舞踏。面をつけての勇壮な舞だった。さすがに王宮直属のガムランだけあって3曲の舞踏とも、洗練されたすばらしい演奏と舞だった。
先生が「4人の娘達と遠藤さんで写真を撮りましょう!」と言い出した。困った顔をした私をステージにかつぎだした。結局、他の舞人とガムラン奏者とも写真におさまった。こういう写真がいい思い出になる。「何年か後に、国が落ち着いたら、ここで和雅音とガムランの競演をしましょうね。」と先生に提案され感動した。
演奏(RealPlayerG2)
登場人物名及び曲名 王女様 Gusti Murtiyah (グステイ ムルテイヤ)
王女様の夫 Eddy Wirabhumi (エデイ ウイロブミ)(後に登場)
1曲目舞踏 Srimpi Sangapati (スリンピ サンゴパテイ)
2曲目 Lawung (ラウオン)
3曲目 Klono Topeng (クロノ トペン)
王宮ガムラン...「長いだろうなあ!」と思ったら、あっという間に終わった感じだ。王女様や取り巻きの方々と雑談になった。夫のエデイと握手をする。王様もそうだが、皆けっして威張らず、気さくな人ばかりという印象だった。(我が教団も見習うべきだ!!)そういえば昼間に出会った「ペチャ」の人たちも人なつこく、乗らないのに嫌な顔もせず、私の相手をしてくれた。確か日本のハイテクの話をしていたときだったか?ペチャはサドルの下にブレーキがあるので「運転中どうやってブレーキをかけるのか?」と聞いたら、下に連動して踏む場所があり、私が感心して「ハイテクノロジー!」と言うとメチャ受けだった。彼らの工夫は素晴らしく、ブレーキパッド(ゴム)に古タイヤを切ってボルトで固定している。誉めると、「スリッパも自分で作った」と自慢しながら見せた。なるほど親指の処がボルトで止めてあり、質素ながら、あらゆる物を長く大切に使う人々だ。見習うことにしよう!
ホテルへ帰り、自宅へ電話を入れた。
慣れない緊張感で疲れた一日だった。
9月15日(水) 晴れ
昨日、インターネットカフェに寄った。1時間3500ルピアだそうだ。いきなりパスワードを入れる画面で戸惑った。ネットサーフィンはどうにか出来るようになったが、日本語がでない。よーく考えたらフォントがない。「こりゃ!メールも書けん!」どうにかヤフージャパンに到達。ヤフーファイナンスを見て和雅音のホームぺージにたどりつく。西教寺 さんにメールを書く場所があったので、ローマ字で書き、送信した。
名前 = genshi endou
E_Mail = rxg00667@msn.com
Windows95/98/NT = on
メッセージ = doumo genshidesu!kanjigatsukaenakute kouiu mail
ninarimasita koko solo(indonesia)wa kaitekidesu!
atsuikedo asaban wa suzusii yo kotoba wa kekkou
ikemasukedo tabemonoga !!sakuyawa ikinari yataide
jawafuu kokonattsu gohan maitta dewa mata !!
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やはり5時に起きてしまった。今日の予定は大幅に変わり、朝10時半にお迎えが来た。まずは昨日のお礼ということで、王宮にタクシーで向かう。偶然水曜日は王宮内でガムランの練習日と言うことだった。中でしばらく見ていると、山本さんという女性が声をかけてきた。「日本から来られたんですか?」..「はあ!まあ」 「私も日本からです。」...「何してんの!こんなところで?」一瞬彼女は怯えたような顔をした。(まずい!ここは異国だ!博多とは違う!).....「ガムランが好きで来てるんです。」それ以来、山本ひろこさんには大変お世話になることになる。結局、田村先生が意図的に横に座らせたことを知る。先生が「その人(遠藤)は危ないよ!」と言う。(俺のどこが危ないんじゃ?).........分かるような気もするが。 しばらく金のお面を付けた舞踏を見た。
そもそもソロには、王宮と。そこから分かれた王宮があり、どちらに来てるのかよく分からないが、奥を見せてもらうのにお金が要る処を見学した。そこのアンテイークの売店で、お面とピアスを買った。ここの品物は高いが、良い品が多かった。
昨夜お目にかかった王女様夫妻 グステイムルテイアさんとエデイさんの執務室へ行って、昨夜のお礼を述べた。おみやげは、サプトノ家にあげた鶏卵素麺以外何も持ってなかったので、携帯ストラップの長いやつの鍵をはずしてあげた。(本当は、昨夜、携帯電話を持っていた側近の方にあげようとしたのに、意味が通じず、王女様が手にして喜んだ。......恥ずかしい!)王女様が昨夜、春巻き風お菓子の竹が入ったやつを、私が何故食べなかったかを、先生に聞いた。困った私は「食べず嫌いです。」と答えたが、意味が通じるはずもない。「この人は子供みたいな人ですから...!」と先生が助けてくれた。「食え!」と目配せされたから、何が美味いのか、まずいのか、分からず、近くの物をフォークで刺しただけで、大意はないのだが。「そんなことまでチェックしてるか?」結局、王女様は、今度出すときは、何が好みかを知りたかっただけのようだ。気配りが尋常ではない。見習おう。
Danar Hadu バテイック屋に行った。ソロ一番の規模らしい。35名分考えるのが面倒だったので先生にまかせる。先程のアンテイークと合わせて300万ルピアが消えた。先生の衝動買いの方が長引き14時の昼食へ行った。BAKUSOU(バクソウ)という名の怪しい店だ。初日の屋台が脳裏をかすめる。「先生は、私を実験台のように、ゲテモノ市場へ引きずり込もうと、しておられるようだ!」ラーメンの上に卵のような牛肉のミンチ(蒲鉾みたいだ!)が乗っている。ご飯とまわりは、具満タンといったところだ。覚悟を決めてたべると、そこそこの味だった。デザートに牛の皮の天ぷらと少々疲れ気味となりホテルへ帰る。
夕刻にサプトノ家へ招待される。ホテルから車で20分程で、隣町との境だそうだ。
家の前は道が狭い。イスラム教徒か?顔を覆った女性が多い。サプトノさんも地元大学の
ガムラン教授だそうだ。いきなり裏庭へ通された。「遠藤さんにアヒルの行進を見せたかったのに?」
と田村先生。「なんだここは!!」「メチャ広い!」500坪程ある裏庭は、植物園状態。熱帯系の果物が沢山植えてある。そこにアヒル系3種、鶏(シャモに近い)がやたら生息している。イスに昼間会った山本さんと友人のジニーさん(韓国系アメリカ人)が座っていた。犬がじゃれつく!「お座りっ!」と叫ぶと、「日本語は通じないでしょう!」と山本さん。私がイスに座ると犬がじゃれつき、話をしてる間にジーパンを噛みちぎった。前例が4件程あるそうだ。他人様の犬を蹴り上げる訳にはいかなかった。ちなみにこの犬の名は「クーマ」だった。中庭の池にはナマズが大量に湧いていた。
ワサミラソというレストランへ行った。池の上に竹で作った水上レストラン風だ。「ランボーが捕まった場所に似ている!」ここの料理は上品で美味かった。
9月16日(木) 晴れ時々曇り
時差を考えながら大学庶務課の仮屋さんへ電話を入れる。通信状況は雑音が入るときもあれば、良好のときもある。掛けてみないとわからない。昨日は祝日だったので留守電だった。
いよいよ築女大学のガムランが完成だそうだ!本日の予定はボドブドウール(ジョグジャカルタ)、プランバナン見学と夜の完成試楽(ガムラン演奏)だ。本来このためにわざわざ福岡から来たのであるが本人は理解出来てない。
予定では昨日乗ったタクシー運転手と交渉済みで、一人で見学だったが、サプトノ夫妻が心配してくれて、別のタクシーを呼ぶ。やはり都会の治安は悪いようだ。昨日山本さんからも、嫌な話を聞いた。この国、特にジャカルタでは信頼できる運転手を持つことは絶対条件だそうだ。やってきたタクシーのお兄ちゃんは「ボドブドウールは行ったことがない!」と述べたそうだ。「この辺一番の観光地だろうに?何考えとうとや!」とは思ったが、そこは温厚な私、じっと耐える。困ったサプトノ夫妻は、運転手チョコさん、看護士のブテイさん、そして長女のニーケンちゃんを動員することになった。これまでに結構時間を浪費したし、夜のこともあるので、もう私はどうでもよかったが、一応仏教徒?でもあるし、ここまで来て最大の仏教遺跡を見逃すのも、しゃくだから行くことになった。
チョコさんの運転はうまかった。日本でも十分やって行けるレベルだ。「この国にも安全運転の方がおられるんですねえ!」チョコさんの車も三菱コルト。クーラー付きでシートが乗用車なみだ。往復5時間の旅行が始まった。私以外は日本語を話さない。ブテイさんは英語が少し、ニーケンちゃんも「litle litle!」と言っている。チョコさんは現地語のみ!インドネシア語も結構訛があるらしい。車内はさながら他民族間会話となった。しようがないからメモをとる。ペチャのおじさん達に習った言葉の「おさらい」からはじまる。目....マタン。 見る...マリハ。鼻...リットウン。クーキン...耳
頭...アラーブ。歯...キイキイ。腕上部...タンガン。指....チャリ。足...カキ。
マローン...食べる
ニーケンちゃんは大学生で私の長女と同級だ。両親とは違ってガムランや舞踏は嫌いで洋楽が好きだそうだ。「こういう人は親しみが持てる!」妹のイーカちゃんは高校生で小さいときから舞踏をやっている。王宮で選抜されているそうだ。「車の免許は何歳から取れるの?」と聞くとニーケンちゃんは困った顔をした。我が家の娘3人の名前を書き、年齢を添える。16才で結婚、18才で成人映画、免許 20才で選挙権、飲酒とわけのわからん説明をする。....(後で田村先生から馬鹿なことを教えるなと怒られた。結局、免許は金を積めば何才でもいいそうだ。いい国だ!)
ジョグジャ郊外にそびえるボロブドウールはすばらしい建物である。1814年に発見され20年かけての発掘作業、1835年にその全容を現した。そのお陰か、安山岩のレリーフや全体が風化を逃れている。縦横135mの正方形、高さ35m、9層の回廊からなる。
物売りには閉口した。日本語が結構喋れて「1000円です!」が売りらしい。しつこくつきまとい、追い払うのにブテイさんが活躍した。日本人観光客がいた。女性の親子と今時のギャル3人組だった。「怖くないのか?」現地エスコートが付いていて、説明を聞いていたので、聞き耳を立てる。「日本語はうれしい!」。
お面と唐傘を買った。ニーケンちゃんが活躍した。かわいい顔をしてるが、値切るときはすごい!この国の文化と言っても良く、交渉事は小さい時から鍛えられてるらしい。「洗練されておられる!半額まで値切った。」 実は「もう要らないから帰ろう!」と私が言い出し、車までお面屋さんを引っ張った。しようがないから彼も半額で妥協した。組織プレーは結構有効だ。
昼食は初日の屋台とおなじメニューだった。裏道からヒンドウー遺跡「プランバナン」へ行く。ここも同じ様な構造だった。帽子を2つ買った。疲れ気味で帰りの途についた。もうちょっとでソロにつくのに又
BAKUSOU料理に立ち寄った。車の中でバクソーの話をしたのがまずかったようだ。「きっと遠藤さんはバクソーが好きなんだ!」とニーケンちゃんは思ったのか。しようがないから食った!言葉の壁は大きい。
19時にロビーへ降りると山本浩子さんとジニーさんが座っていた。時間励行はうれしい。
いよいよ築女ガムランのお披露目である。サプトノさんのお迎えは20時。車内にはすでに正装をしたおばあさんが乗っていた。70才のおばあさんは、ガムラン界では有名な人らしい。かつて歌ではジャワナンバーワンの女性だったそうだ。......(そうは見えんけど!)
サロヨさんの工場が演奏会場になった。もうすでに30名程の各方面一流プレイヤーが集まっていた。完成楽器の写真を撮りまくった。ゴザの上には色々な食べ物やジャワテイーが置いてあり、皆好きなように食べ、話している。何となく1曲目が始まり、MDの録音タイミングを逃す。ガムランも雅楽と同じように6調子あるらしい。各調子の曲を順番に演奏して、バランスを見るそうだ。
一曲目 L,D1.Balabak pl,br ラドラン形式L,D1 曲名Balabak 音階 pl 音調br
二曲目 L,D2.Bayan tue pl,hema(5)
山本さんが丁寧に説明してくれた。.........が......「よくわかりません!」
歌入りの曲が3曲程終わった頃には、午前0時を回っていた。ホッ!としてたら、長老が何やらボソボソ呟きながら線香をたき始めた。「お祈り!」の時間らしい。この国を旅立つ楽器たちに魂を入れるそうだ。しかも2台に名前を付ける習わしだそうだ。これが又やたら長い。演奏まで始まって終わったのは、1時過ぎだった。「ジョグジャの疲れで眠いし、明日は帰国だ。しかも夜間飛行で大阪まで帰る行程を考えると......。」
「ここで日本から来られた遠藤さんに挨拶を?」........「うーん!夜中の1時にそう来たか?」
あわてて考えた言葉が「過去の戦争のお詫び。」と「ガムラン制作、演奏のお礼。」だった。田村先生が「何を言い出すの?」と言う感じで、固まった顔で通訳をはじめた。皆から笑いがでた。
後で山本さんに「あの笑いは何?」と聞くと、「そんなことはもう忘れよう!」の笑いだそうだ。恥ずかしいけど、立場上仕方ないか??
「ここで日本の雅楽の龍笛を吹いてもらいます。」......もう遅いから「小乱声」で勘弁してもらった。
9月17日(金) 晴れ
朝7時に起床。帰国準備を始める。おみやげのバテイックがトランクの半分を占める。
レストランで朝食を食べていると、王様が入ってきた。なれない英語でお別れを言った。実は王様はスカルノ大統領時代に王位を剥奪され、この王族の持ち物だったクスマホテルも没収されたそうだ。それで今はホテルの一室を借りて生活をしている。王様用VIPルームが一階にある。
チェックアウトが又一騒動だった。
田村先生と王宮図書館へ行く。そう大きくはない図書館だが、何となく風格を感じる。先生は20年程前から図書館の古文書保存を手がけておられるそうだ。自費200万円を投じて、雨漏り止めや空調改善をしておられる。数人の人たちが古い本を中性紙のカバーに入れる作業をしている。二階の書庫に上がった。手書きのジャワ文字の本、王宮関係の絵、写真、1930年代の新聞など貴重な資料らしい。ジャワ文字は現在は使われていないようだが、インドの影響を受けたサンスクリット文字に似ている。目を引いたのが樹木の家系図。色とりどりの葉に名前が書き込まれて、壁掛け絵画になっている。本筋が幹の部分らしい。「連枝」の語源か?
エデイと王女様にお別れを言ったら大きな写真をおみやげにくれた。王位継承記念式典の写真だ。9人の踊り子の中に次女のイーカちゃんが写っている。
王女様は今度国会議員に選出されたそうだ。10月の国会が始まると、又この国に混乱が生じる可能性を述べられた。
数日の滞在だったが、インドネシア軍部はもう時代遅れの感が否めない。軍部が保身を貫けば、民主化にはまだまだ時間を要するだろう。
ガルーダは時々時間変更があるらしい。私のリコンファームも先生がやってくれたが、16:30が17:00
に変更だった。突然欠航もある。(いい国だ!)
いよいよ帰国の時だ。「フーミ急いで!」先生の準備をサプトノさんがウロウロしながら待っている。私はサプトノ家のソファで横になり、目だけでクーマとご主人の動きを追った。昨夜の疲れが出て来たようだ。先生は「私は飛行機に乗り遅れたことはない。」と豪語された。もう100回以上の往復だそうだ。
コルトで家を出るとソロ街道が渋滞だった。ぶっ飛ばして空港へたどり着いた。案の定飛行機は遅れていた。午後5時出発が5時に到着して客を降ろしている。待っている間に華僑の若いカップルが入ってきた。服装や車も派手だが、態度がまたすごい。「ああ だから嫌われるのよね。」と先生。映画に出てくる香港マフィア、日本人より数十倍たちが悪い感じだった。影絵の大御所とも偶然出会った。カメラに収めた。遅れ気味で出発。タラップへ近づくと、いつもの場所らしいが、サプトノさんやイーカちゃんが手を振ってくれた。
ジャカルタで9時20分JAL714便関空行へと乗り継ぎだ。免税店で指定のエトロのバックを買う。一番高い買い物だった。「SUSI UDON店」で肉うどん(千円ぼったくり!)を食った。これが旅行中一番美味かった。バリ帰りの日本人(若者)が多く、何となくホッとした気持ちになった。ジャカルタ空港では、又一波乱あったが、あえて書かない。
緑豊かな島インドネシア、いつまでもそうあって欲しい。そして早く平和を取り戻し、人々が今以上に
生き生きと暮らして欲しい。
九州にガムランが来る。それが九州に根付き、「アジアとの友好の架け橋になってくれれば」と願うばかりです。
この旅行を計画してくれた学校関係者、ご心配していただいた方々、インドネシアで出会ったすべての方々に感謝をこめて「ありがとう!テリマカシー!」
1999年 10月4日
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